男色スーパースター列伝3
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またしても、『ブッチャー・ボーイ』でございます。
このブッチャー・ボーイの主人公、北アイルランドのベルファスト(首都のはずなんだけど、この映画で描かれてるのはなんか平壌みたい)という地理的、歴史的な背景やらゲイとしての苦悩やらがどうしても・・・
三島由紀夫を連想さしてくれるんですよ。
もちろん、この映画の主人公とでは相違点の方が多いんですが、やっぱり同性愛に偏見のある身としては民族主義、同性愛と聞くと連想せずにはいられない。
この映画の前に『マイケル・コリンズ』という大作を作って、その出来事から数十年後のアイルランドを描いたニール・ジョーダン監督の意気込みというのはなみなみならぬものだったと思います。
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三島ファンの方は是非一度ご覧になることをオススメいたします。
で、最後に本音を書いておくとですね。
実は昔、三島由紀夫のファンでゲイの友達が一杯いてやおいモノが滅法好きな女の子とお話したんですが、この子というのが『美少年』=崇高な存在 という定義を持っていて、その崇高なモノに対する憧れはあるんだけれど、自分がそれと対峙することができない(自分より崇高な存在と定義してるからね)ジレンマから自分の投影であるところのもう1人の美少年を持ってきてその崇高な存在と絡ませることで自分もその崇高な存在と一体になッた気になる、という目的からやおいに関心を寄せているようなんですよ。
で、
その子とお話をした僕は、彼女のホモ認識に非常に嫌悪感を抱いたんですよ。なんか、恋愛というのは『やる側(支配する側)』と『やられる側(支配される側)』があって、自分がやられる側にまわるのがイヤだからそこから逃避するための逃げ道としての『やおい』があるような感じがして。
(何より、彼女の求める崇高さ、美しさ、は『強さ』との相関関係があった。)
で、
この映画では、主人公は支配される側のアイリッシュ、性マイノリティとしてのゲイ、であり、それと対峙するのは支配者たるイギリス人(の代理人)とマイノリティの苦悩を逃れて生きることを望む普通の人々、というどうしても『やられる側』の苦悩を自ら背負い込んで生きてるタイプの人間なんですね。
そして、その縦社会のどん底から這い上がろうとせずに、そのどん底の中で、『純粋で、崇高で、美しいモノ』を探そうと試みて挫折したり、失敗したりするんですね。
果たして、不浄な世間で主人公はそれを見つけるのか?ということなんですが、それは決して『強さ』『正しさ』『完璧さ』と相関関係にあるものではないようです。
これがアOルにロマンを求めて数十年の(やっぱり未確認)のジョーダン監督のアOルの奥から導き出した一つの答えではないでしょうか?