3つの「B」

ドラキュラ [DVD]

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え〜、「明るく楽しく元気良く」のレーガニズムが終焉して、ダークな90年代を迎えようとしていた92年くらいに出てきた作品、コッポラ監督の「ドラキュラ」
この映画では往年の名ドラキュラ俳優のべラ・ルゴシ(東欧でシェイクスピア劇の俳優をしていたんだとか)へのオマージュとして英国王立シェイクスピア劇団ゲイリー・オールドマン(つまりホンマモンのシェイクスピア俳優)【追記】ゲイリーさんが王立劇団の俳優であるというソースが出てこなかったのでガセということにしておいてください。が、本当かも知れないので一応削除しないでおきます)をドラキュラに起用、ルゴシのファンには感無量なキャスティングというわけですな。

ところがこの映画、ストーリーが宗教的過ぎて(今で言うところのスピリチュアルか)クサいと酷評されたりもしたんですが、果たして単に和服着たデブが喜びそうなだけの映画だったのか?というのが今回のお題です。


その昔、50年代、60年代に作られたB級のホラー映画やSF映画といいますのは大抵あるプロットに従って作られておりました。

このプロットを「3Bプロット」命名します。

この3つのBはどういうことかというと主人公「the Brave(勇者)」ヒロイン「the Beauty(美女)」そして悪者「the Bad(悪役;モンスター)」です。
こいつらが1時間半から2時間の間銀幕の中でごちゃごちゃとお騒がせするわけですな。

大体、この主人公とヒロインがラブラブのカップル(観客がデート中のカップルであるとの想定で感情移入しやすい設定らしい)で、それを横恋慕する邪悪で強大な力を持つ悪役のドラキュラやら半魚人やら宇宙から来たエイリアンやらがヒロインを奪います。

大抵の場合、映画を観に来た観客と同等の力しか持たない主人公はなす術なくひどい目にあわされるんですが、これだと話にならないんで話の後半に

「愛の奇跡」が起きます。

これはまぁ、悪役を倒すための方法やら手段やらありえねースペシャル・ウエポンが手に入る、ということなんですが、これが、例え非力であっても恋人を助けるためにわが身を惜しまず悪役に挑む、という主人公の 客観的に見て「美徳」とされるような善行があって はじめて寄与されるモンなんです。

要は神様(というか脚本家)と観客の合意の上で物語の主人公に特権を与えるというお客さんを映画に参加(したような感覚を与える)させる儀式ということなんでしょう。

そして、悪役を倒した主人公はヒロインと結ばれて、こうして最後に愛は勝つ!という風なメッセージが流れてハッピーエンドになるわけです。(そして、その映画を野球中継が雨天中止になった時の代替番組として見ていた若き日の僕はあまりの白々しさにドン引きするわけです)

僕はこの手の馬鹿映画を数えられないくらい見てきて、多少のひねりはあるもののほとんどプロットが一緒で呆れ倒してきた人間なんですが・・・・

具体的にどの映画がその例として挙がるかということを尋ねられるとタイトルもキャストも内容も全く浮かばないのがこの手の映画の特徴っす。

このプロットを上手にパロディしたのが今は巨匠のピーター・ジャクソン監督のこの映画です。

ブレインデッド [DVD]

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で、最初に紹介した「ドラキュラ」はそのプロットを粉砕、どういうわけか悪役のドラキュラの孤独な魂を救済するためにヒロインが「愛の奇跡」を起こしてドラキュラは神の許しを得て昇天、それを観たお客さんに「なんじゃこら?」と思わせるという、悪役のモンスターに対する愛情だけで作られた珍作でして、呆れる観客を見てコッポラ監督は「大成功!」と思ったに違いありません。


そして重要なことなんですが、フロイト心理学にこの3Bをあてはめますと、人間の心の中の3つの要素「自我」「超自我」(あれ?「意識」「無意識」だったかな?)が主人公の「the Brave」ヒロインの「the Beauty」にあたり、悪役の「the Bad」というのは神の領域の「ES(追記;「イド」でした。ついでにその性質はこの文章とはかなり違うようですので、興味のある方は専門書を参考にされたし。この文章はあくまでちょこっとだけ参考にしただけです)」にあたるわけなんですね。

勇者も美女も悪党も同じ人間(脚本家さんですね)の人格の一部を投影したものに過ぎませんから。

大量虐殺や戦争やDVや人種差別という世の不条理に人間を向かわせる要素も人間の心の中に「ES(追記:くどいようですが「イド」でした)」が存在するからというのも事実だったりします。

モンスターは実はあなたの心の中にいるのです。