サブリミナル俳優大会

いやー、「ゾディアック」見てきたでがんすよ。

おそらく映画館に月1回以上は通うくらいの映画好きの人でも「誰これ?」ってなるようなサブリミナルな俳優さんが大集合してる映画でしたね。

「遠い目のオッサン」フィリップ・ベイカー=ホール(筆跡鑑定の人)

「シャクレビュティー」クレア・デュバル(被害者の妹)

そして、な、な、なんと

タランティーノmeetsトミー・リー=ジョーンズ」イライアス・コーティアス(ヴァレホ署の巡査部長)まで出てるんですよ!

この人10年前の作品「ダブル・ロック」(原作ジム・トンプソン、上記のP・ベイカー=ホールも出てます)というサスペンスの小作品でその存在を知ったんですが、その後ほとんどメジャーの映画には姿を見せなかった人なんですけど、今年に入って「ザ・シューター」とこの「ゾディアック」で2作品も劇場でみることができるようになったんですね。いや、いい時代になりました。


さて、映画の内容なんですが、個人的にはですね、1968年のサンフランシスコというとベトナム反戦運動やらとにかく反体制の運動の渦中だったところでして、そんなところでこういう事件が起きるというのは、小うるさい連中に「やっぱ自由とか人権って与えすぎるとメタボっちゃうんだよネ」とほざかせる絶好の機会を与えてしまう結果になるんで、「同じやるなら80年代のNY,LAあたりにしてほしかったなぁ・・・」なんて不謹慎なことを考えずにはいられないわけです。
(実際ジョン・レノンを殺したチャップマンの方が殺人者としては有名なわけだし、世相を考慮に入れないと後世に名を残すのは難しいといえるかも)

で、殺人という犯罪の本質ともうしますのは本来「人間関係の断絶」を目的として行われるわけで、犯人は犯行に及べば及ぶほど孤独になっていくもんなんですな。それでもあえてそれを行って自分を孤独に追いやらねばならなかった犯人の心情、とそれを追い求めた登場人物の心情には果たして相通ずるものがあったのだろうか?と 観終わった後にふと思ってしまいました。