恐怖奇形美女

すいません、前回の続きなんですが、実際に「社会の底辺をさすらいつつなお神々しいまでに美しい女性たち」というのが結構な割合で実在するというお話だったんですが、あまり具体的に話を進めるといろんなところからお叱りを受けるので書けません。申し訳ない。(実際書いても「大阪風俗紀行」みたいな話になっちゃうだけですし)

まぁ、その手の女性で有名どころといえばフランスの文豪マルグリッド・デュラスですかね。植民地時代のベトナムのフランス人社会の最下層から這い上がって「男殺し」の異名をとって財産守るためなら第三帝国も敵に回すようなおっかないおばさんになっちゃうんですけどね。

この人の場合ですと僕は「インテリ美女」に分類してるんですが、要は頭にばっかり栄養が行って目が大きくて顔の下半分が小さくなって背が伸びなくてやせっぽちで、っていうのがこの手の女性にありがちな身体的特徴っすね、ただこのタイプのお嬢さん方の大きなお目々は近くで見たら本当に宝石みたいにキレイなんですよ。(後世に名を残すような遊廓の遊女たちもほとんどこのタイプ)

でもこのブログで話題にしてる「底辺美女」というのは大概手足が長いモデルさんタイプなんですな。(僕が見た限りではそれに加えて服のセンスもオシャレだ)何食ったらそんな風になれるの?っていう感じの。

んで、彼女らの成立条件なんすけど、お風呂にあまり入らない(これはロシアからアフリカまでの底辺美女に100%あてはまる条件でした!)とか農作業しないとか住んでる地域が政情不安定とかいろいろあったんですが一番の理由は

社会的抑圧を受けてコモンセンスの埒外に生まれつき身を置いている

ってことですかね。
結局は人間が社会通念とかに従いつつ生きていく過程で失われた「本来の人間のあるべき姿」がその埒外に置かれて育った結果見事に増幅されていい感じの美女(美男でもいいけど)ができあがる、と。

んで、こういう美女さんたちってのが「人にどう見られるか」ということを全く意識しないんだ。どう見られたって差別されるんだから当然っちゃ当然だわな。これが「本来の人間があるべき姿」への近道なんでしょうな。 mind over matter ってやつだね。

さらに、一見矛盾するようだけど被差別民ってのは身なりには一際気を遣う。(前回紹介した「黒猫・白猫」の登場人物のほとんどが頭になんか被り物してましたね)ファッションは彼らにとって社会とのつながりを持つための唯一の手段だからね。寝起きの頭でパッパと身繕いしても色合わせとか無意識にやっちゃうと思う。



さて、どんなに抑圧されても太陽のようにまぶしい彼女たちなんですが、恋愛が資本主義的なもんと不可分になってる現在の日本におきましてはですね、男性女性双方から忌み嫌われる存在のようで、僕の知り合いなんぞは彼女らの存在を

あれは奇形の一種

と言うておりました。
「嗚呼、”豊かさとそれに甘んじない努力の結果として美貌が存在する” という(間違った)社会通念はこうも人間の審美眼を狂わせるものなのか」と思いましたが、映画や演劇やその他のお話が好きなみなさんはどうかこの「底辺美女(このネーミングは我ながらひどいと思う)」の存在を信じ、現実世界の中でも「キリストの存在を求めて石ころをめくる」くらいの気持ちで探しあぐねいてくださいませ。





おまけ

イタリアでドイツ語もなんとか公用語として認められた(これはユダヤ勢力からの圧力あってのことだろうけど)のに続きフランスでもブルターニュ地方の先住民族の言葉ブルトン語復権の兆しがあるんだとか。

「英語で喋れないとね」みたいなこと言ってるアメリカってその点ダサいよね。