自分晒し

かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)

かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)

え〜、かの有名なヒッピーの経典「かもめのジョナサン」です。
究極のスピードを求めていわゆる「普通の生活」を顧みず垂直落下に命をかけるかもめのジョナサンが修行の果てに解脱してスピードの神のような存在になるお話なんですね。
純粋すぎてジョナサン君には感情移入しがたい部分がありますが、彼をかきたてる情熱に対するあこがれみたいなものは読んでて感じたなぁ・・・。ただそれだけだけど。

んで、この本の後書きにですね、「このお話は名作であるが危険な思想をはらんでいる、注意されたし」みたいなことが書いてあるんですね。どうも作者は白人至上主義のレイシストである、と言いたいようなんです。んで、作者のリチャード・バックさんについて調べてみたことあるんですがそのような事実は見つかりませんでした。まぁ、彼の素性はともかく作品を読む限りではそういう思想が反映されてる部分はないです。作品中「白」という色は「空っぽ」の意味で使われてますね。ラテン語の「白」が起源の「blank」の意味ね。ついでに書いておくとラテン語起源の「愛(=神)」を表す言葉「Amor」とか「Amour」は「黒」が本来の意味だす。

さて、この後書きでのリチャード・バック氏=レイシストの根拠なんですが、これが簡単バック氏の姓「Bach」と書きまして作曲家のバッハと同じ姓なんです。つまりドイツ系の人なんですな。「かもめ〜」の内容も伝統的なドイツ文学の形態である「発展小説」というのを採用してます。「発展小説」とは「物語の展開が主人公の性質に変化をもたらす、あるいはその変化がテーマの物語」ということになるかと思います。わかりやすく言えばこういうこと。

新装版 矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG (角川文庫)

新装版 矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG (角川文庫)

この「成り上がり」のために主人公はひたすら 自分探し にいそしむわけですね。 

ドイツ人=ナチスレイシスト というバカの一つ覚え論法を大手出版社の出版物が大真面目に書いてて、いやぁ、日本の文化人というのは素晴らしいもんだなぁ、と感じずにはいられませんでした。

んで、なぜこのような事態が起こるかというとこの小説はアメリカ人が書いてるので英文学に入ります。英文学の人が他言語文学のことを知りもしないで悪意と偏見で「俗物」とみなし、自分の専門分野にそれらが入ってくるのを快く思わず排斥しようとしてるわけでこれこそレイシズムって感じがしないでもないですが。


と、このようにドイツ文学の範疇でしか語られない「発展小説(ビルトゥンクス・ロマーンという)」というやつなんですがフランス文学の名作「赤と黒」やアメリカン・ニュー・シネマの傑作「イージー☆ライダー」なんてのが完全にこのジャンルに入るわけでして一国だけの特許というわけではありません。
アメリカの全身タイツで悪と戦う、いわゆる「アメコミ」なんていうジャンルのそれがもろにそうですし、アメリカ人にはこの「主人公(でなくてもいいけど)の性質というかアイデンティティが作中で変化を起こす」作品がたいへん人気があるようです。

近年はですね、ノーラン兄弟が作った「バットマン・ビギンズ」がこの発展小説的性質をもろに表現した作品と言えるでしょう。


さて、この発展小説というジャンルですが、以前書いたチェコの文豪カフカが登場して大きな転換期を迎えます。果たして「自分探し、成り上がり」の哲学に一体何が起こったのか?というところで続くのです。