本人です。

え〜と、前回の続きをかくまえにジャック・ニコルソンバットマンの名悪役ジョーカーについて書きます。

ほぼリアルタイムでこの「バットマン」を家族全員で見たわけなんですよ。その時僕の親父がたいそうこのニコルソン演じるジョーカーを気に入ってこの一作でニコルソンの大ファンになったんですわ。(ちなみに「チャイナタウン」は不評だった)

親父と言いますのが戦前から「ルパン」だの「ファントマ」だのといった悪党が主役の冒険活劇に慣れ親しんだ世代だったのでそれでかな?と思ってしまってたんですけどね。

僕自身もなんとなくですが、このニコルソンのジョーカーを超えられることはこの先できないんではないか?と思っておったんですが、実はこれらの「ニコルソン・ジョーカー=最強説」にはちゃんとした理由があったのですよ。

wikiなんかで調べてもらったらわかるんですがジャック・ニコルソンさんって両親共の芸能一家なんですね。それも華やかなハリウッドのそれではなくてどうやら「河原乞食」と呼ばれて蔑まれてる類の底辺の人たちの。

ケレン味たっぷりの田舎芝居の真髄を生まれながらにして身につけたジャック少年はおそらくそんな河原の砂を噛んで暮らすような役者、芸人、興行師、ヤクザ、ヒモ、経歴が異様に怪しい裏方、なんてな連中が織りなす芸能界の裏側の空気をたらふく吸い込んで生きてきたに違いないわけです。

んで、同じ時代にマンガ「バットマン」を読んで子供たちが悪役ジョーカーを見て連想するのは彼が上記のようないかがわしくもあり、華やかでもある。悲しくもあり、面白くもある「ドサ回り的芸能界」の世界の住人であるかと思います。こういう「ジョーカーの原風景」がアメリカのいたるところに昔はあったんではないかと思います。ジャック・ニコルソンとジョーカーはそのパーソナリティーの成立過程をほぼ同じくしてるのです。

ここまで言えばわかるでしょう。そう、ジャック・ニコルソン=ジョーカーなわけです。

バットマン」の映画化の話が決まって役員会議でその台本を役員が見るや「ジョーカーはジャック・ニコルソンだな」と満場一致で配役が決まったということらしいんで、皆さん考えることは一緒(笑

話変わって僕の親父といいますのが心底歌舞伎という芸能を嫌っておるんですが、この理由はそもそもお芝居が好きでないというのもありますが、歌舞伎の大家の中村、市川なんてな大物が大都市でしか公演しないことにも原因があると思います。田舎に住んでたら昔から名もなき一座の田舎芝居しか見たことがない。「中村ぁ?市川ぁ?あいつらみんな氏んだらええねん」といった感じで憎悪を露にするのも、彼らを遠い世界の人と認識してるから。その都市限定のヒップな芸能に対するアンチテーゼとして地方では活動大写真があった。もちろん歌舞伎の大家は映画にも出ますけどね。
ただ、映画の場合ですと、河原の砂を膝までつけまくったような田舎芝居でならしたケレン味の権化みたいな三文役者がロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのSirがつく役者より格上になったりする可能性なきにしもあらずだから面白い。

このように映画を「文学・芸術」の側面でなくあくまで「芸能」として認識した旧世代の感覚と上記のような声なき観客の願望とが見事に結実したのがニコルソン・ジョーカーでして、時期よし、演目よし、スタッフよし、キャストよし、といい事ずくめで奇跡の名キャラクターとなったわけですね。



ところがです。

田舎芝居に親しんだ世代は段々映画館から遠のき、(この年代に最近ウケたのは全盛期の東映時代劇を思わせる「KILL BILL」くらいです)新しいバットマンのファンにしてもジョーカーが誕生した原風景というものを全く理解できなくなってしまったんですね。こういう大衆芸能に親しんでないから。んで、ジャック・ニコルソンが何故ケレン味たっぷりにジョーカーを演じてるのかも理解できない。そして叩きまくる。

しかし、バットマンの生誕から70年が経った現在においていくら「ダークナイト」で新機軸を打ち出したところでバットマンもジョーカーも存在自体が「古い」わけで(’89年の第一作から古さ全開だった)デビュー作「メメント」の頃から漂ったノーラン兄弟の「オールドスクール感」を新機軸が逆に悪い意味で強調した作品になってしまいました。(それが証拠に手放しで礼賛する連中はほぼ全員30超えてる)

古きを温めず新しきも知れずの宙ぶらりんのアイデンティティ喪失状態こそがバットマンの課題として残ってしまった感があるなぁ・・・・

第一作でジョーカーを演じてから「まだか、まだか」と続編の出演依頼を待ちつづけていたという(冗談だと思うけど)ジャック・ニコルソン御大のような役者バカ(日本だと若山・勝新兄弟のような)にも華やかさといかがわしさが混在し、子供たちのおうちのすぐそばにあった「劇場と芸能界」という異空間にももはや居場所はなくなりつつあったのでした。