今そこにいるイサオ

丑三つの村(R18) [VHS]

丑三つの村(R18) [VHS]

はいっ、80年代アナーキー映画の佳作「丑三つの村」です。

この映画、原作は西村望という人、井筒和幸監督の「犬死にせしもの」も原作はこの人です。

さて、この作品実在した「津山事件」(以下のリンク参照)を元にしたノンフィクション小説が原作なんですが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B130%E4%BA%BA%E6%AE%BA%E3%81%97

映画の方は場所、人名等が変えられており(当たり前か)方言も事件の起こった岡山弁ではなくて京都弁(「せんならん」とか「するよってに」というセリフ)っぽくなっておりどこの地方が舞台になっているのかが曖昧です。


ここらへん、「金田一シリーズ」「ツィゴイネルワイゼン」と70年代後半から続いてきた「岡山エクスプロイテーション映画」(なんじゃそりゃ)の流れからはちょっと距離を置いとります。



それにしても主演の古尾谷雅人の演技がスゴイ!シーン、シーンでまるで別人のように色々な表情を見せてアイデンティティ(自己同一性)を喪失した男」を見事に演じてくれます。

子供のように甘えてみたり、泣きじゃくったかと思えば、恋人の行く末を見守る頼もしい青年になったり、猛り狂った性豪になったり、貧弱な青年になったかと思えば生卵を何個も一気飲み したりライフルを慣れた手つきで構えたり、と まるでスタローンのような逞しい猛者になったりもします。


そのカラフルな演技に合わしてか脚本も途切れ途切れのエピソードを無理やりくっ付けて一つのお話にしたかのような構成がラスト近くまで続き、アイデンティティの喪失から狂気の深淵へと突っ走る主人公の暴走がスピード感を持って表現されてます。


しかしまぁ、アメリカ映画が「理由なき反抗」でジェームス・ディーンを使って青春の孤独と苦悩と挫折を描いてから「タクシードライバー」でデ・ニーロを使って挫折、絶望から狂気へ走る様を描くようになるまで20数年を要したわけなんですが、この映画に関してはそれを1時間40分で表現するんだから日本映画というのは無茶というかいい意味で思慮分別に欠けてるというか・・・(だってプロデューサーが奥山和由だもん)



しかし、この映画の設定、外界と隔絶された空間、ドロドロとした村社会の人間関係、戦時中、という様々な要素をもってしても30人もの人間を殺害するほど主人公を狂気に追い詰めるファクターは見当たらないんですな。

恋人役で田中美佐子が出てくるんですが、実はこれが映画的な「花」でしかなくて、主人公に観客を感情移入させるための小道具でしかないんですね。(この人と会う時だけは主人公はやさしい青年になる)


恋人との悲恋が狂気の源泉だったとするならばその結果を心中に行き着く(当時はけっこう多かった)
はずだし、果たして知性と教養を持ち、お国の為にわが身を惜しまないはずのさわやかお兄さんが狂気に走った要因とは・・・・



それはイサオです。



そう、実際の事件ではどうだったかわかりませんが、この映画に関する限り、夏八木勲扮するオッサンこそが実質的に村の支配者であり、近親婚を奨励し、可能な限り村人が他所に移らないように計らい、自分達の利益にならない人間は闇に葬り去ってしまう・・・・・第三者から見れば「狂気」以外の何物でもない村社会の「掟」と「村そのもの」の象徴であり、主人公の人生を支配し操っている「魔王」だったのです。

第一、小さな村で夏八木勲(と石橋蓮司)が近所に住んでたらオレだって猟銃や刀剣集めて武装するよ。


結局、夏八木勲は不敵な笑みを浮かべて最後まで生き延びてしまいますが、この映画を最初に見たとき(サンテレビの深夜放送でした)は「なんでこのオッサン死なないんだろう?」と思ったんですが、それもそのはず、彼こそは30人も殺すモンスターを生み出したフランケンシュタイン博士のような存在なんだから。結局は「狂気」の世界を壊すためにさらなる「狂気」を身に付けたはずの主人公も「狂気」の生みの親の手の上で踊らされているにすぎないということなんですね。

この映画における夏八木勲は「タクシードライバー」のハーヴェイ・カイテルや「ディパーテッド」のジャック・ニコルソンにも負けてないかと思います。


それにしてもこの映画を観るとつくづく古尾谷雅人さんの死が惜しまれるなぁ・・・・





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