こんな日本に誰がした?

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その昔、お嬢様ばかりが通う女子大だったか女子短大だったかで、プロレタリア芝居の公演があったそうです。
なにしろ思想的にアレな人たちがやるお芝居なんで主人公は貧しさから体を売る商売をするはめになった女性。その女性が終いには病気なんぞを貰った挙句にまわりから蔑まれ疎まれして、住んでるところを追い立てられるわけなんです。で、その時主人公が「こんな女に誰がした!?」と叫ぶのがこの手の芝居のお約束らしくって、でもその時はお嬢様学校での公演ということもあってその劇団はヒネリを加えて

「こんな女にしたのは お前ら だ〜!!」

と客席を指差しながら叫んだんだそうです。そうすると客席からは何故か大爆笑が起こったそうなんですよ。
劇団的には何不自由無く暮らすお嬢様方ブルジョワさん達に対してその存在自体がプロレタリア的には罪である、と言いたいわけなんですが、おそらく一般のお家の娘よりも貞淑、質素を重んじて厳しくしつけられたであろう良家のお嬢さんたちにしてみたら自分達に罪があるという意識なんかさらさらなくてお門違いの物言いに他ならなかったんですね。

そして、自分達を指差して「お前らだ〜!!」と言われても何のことだかさっぱりわからずにその動作の滑稽さから大爆笑が生まれた、と。





さて、そんなどうでもいい話から映画の話に戻して、トーキョーのトチジであらせられるイシハラのとっつぁんプロデュースの上の映画、正直申し上げて観るには観たんですが、あまりにもタルいんで早送り何回もしてしまいました。

特攻隊を描くこの映画では特攻隊員たちはちょっと「・・・」な面もあるにはあるんだけれど概ね普通の人たちとして描かれているように感じます。
しかし、それをとりまく所謂「普通の日本人」たちがヘンなんです。

特攻隊の出撃を見て「軍神さま〜ありがとうございます〜」と土下座して祈る和歌山県根来寺に置いてある水子地蔵にそっくりな石橋蓮司を筆頭に特攻隊員を軍神と崇め「イケイケドンドン」の調子で彼らをあの世に送り込むんです。

どうにもこうにも映画としては致命的なほどクサいセリフをバンバン吐いて出撃を祝う彼らの姿はすでに多くの方がお書きのようにキチ0イの真髄を感じずにはいられないんですが、(おかげで主役であるはずのトメさんの存在感がどっか消えちゃいましたよ)ちょっと待てよ、この映画はひょっとして、「よく見ろ、これがお前達の姿なんだよ」と観客に主張したいんではないのか?と思ったんですよ。

イシハラのとっつぁんといえば、彼の作品(読んだことありません、あらすじをちょっと知ってるだけです)やら言動やらからどうも「ヒューマニズムや人間存在に対する絶望」みたいなものが感じられることがあるんですが、もしや、この期に及んでなお懲りずにこういう主張をしちゃったのかな?ともとれなくもない。

「戦争は確かに悲惨な出来事である、しかし、戦争が起きるのはその時そこに戦争を起こす人間がいるからだ、そしてそれは『コイツやアイツ』ではなくて我々なのだ、全ての人間にこそ戦争の責任があり、全ての日本人に特攻隊員を死に追いやった責任がある」

と、こういう解釈をしてみたら鬱陶しいだけのストーリーのこの映画もスッキリした主張があるように見えてきますな。



それにしても、「レディ・ジョーカー」の時から囁かれた徳重聡場違い力は本作でも遺憾なく発揮されてて、「死にそびれて行き場を失くしちゃった」感ではこの人以上の人はいなかったでしょう。

「レディ〜」では原作の合田雄一郎ファン(僕の知ってる人はほとんど女性)からケチョンケチョンにけなされた合田役の彼ではありますが、この映画では彼の「無駄に浪費される存在感」から来る「場違い力」が最大級にプラスに作用しておりました。

あと残念でならなかった点2点挙げておくと、軍服やら戦闘機の造型やらから来る戦争映画独特の「フェチシズム」が全く感じられなかった点が致命的でした。(よって所謂『軍ヲタ』と呼ばれる人たち向きの映画ではない)反戦にせよ戦意高揚にせよこれは必要でしょう、やっぱり。

そして、もう一つはコクピットのシーンなんですが、パイロットを真正面から写したカットは役者さんたちが目の前の計器類に目を配りながら目的地を目指してるように見えんのです。適当にそこらへんを見てる感じ。
筒井道隆なんぞはどう見ても「風俗に行って待合室で順番待ちしてる若きサラリーマン」にしか見えんかったです。