変態ここに極まれり

さて、前回は映画「靖国」の上映禁止を画策してた不埒な輩の鼻を(図らずも)あかしてしまったローランド・エメリッヒ監督の実像に迫ってみましょう。

このオッサンの出世作といえば何といっても「スターゲート」なんですけどもこの手の大作スペクタクルといえばスピルバーグという偉大なる先人がいたわけでして、この先人との差別化をまずエメリッヒ監督は命題としてしょいこまされます。

では、このイタい偉大なる先人スピルバーグの特徴を簡単にあげておきましょう。

・客観的な事象を自身の脳内で一旦主観的な「イメージ」に変換し、巧みな演出でそれを再現する「イメージング」という手法を多様

・「少年の心を持つ男」の異名のとおり少年の心をとらえて離さない独特の感性を全面に押し出す


ってことかと思います。ただ上記のような特徴で巨万の富を築いた巨匠ですが、それは逆に言えば

・現実遊離を招く、あるいは現実から離れなくても主観によって支配された映画の中の世界観は閉鎖的で排他的にならざるを得ない

・「少年魂」を強調しすぎた結果それ以外のタイプの観客にはまったくアピールしない


以上のことから


観客が女性であった場合、かならず上映一時間で惰眠の淵へと誘ってしまう。

所詮映画だからリアリズムはさほど求めなくてもも文化・習慣の違う国の人が観るときの「共通の認識」の部分があまりにも少なくなってしまう。つまり他人事として感情移入を拒んでしまう。


という事態を容易にまねいてたんですね。

この他にも、スピルバーグ映画のような女性に反感を買う映画群というのが世の中には色々とあって、例えばかつての日本の東宝映画というのが今では考えられないくらい女性に受けない映画ばっか作っておりまして、黒澤明は全世界の女性のほとんどを敵に回してたといっていいし、ゴジラにいたっては完全に邪神扱いというか、女性には憎悪の対象としてしか観られない部分がありました。(ちなみに昔の東宝の女優さんというのが「純情、純潔、だけど巨乳」というどう考えても童貞くさい男からしか指示が得られないような人ばっか集めてたんですね。徹底した「男の子仕様」の会社だったんです。


そんな状況のスペクタクル映画=男の子しか喜ばない の状況を打破するべく、エメリッヒ監督が「スターゲート」でとった作戦とは、いたってシンプルなものでした。

キャスティングに美少年を起用することです。

そう、当時女性(というかおばさま)から密かな支持を受けていたジェームス・スペイダーを主人公に起用、ラブロマンスも忘れずに挿入しました。そして何より、悪役の暴君を様々な人種の特徴が入り交じった神秘的な美少年(役者さんの名前忘れた)の姿で登場させることでアメリカンテイストなスペクタクル映画なのに女性の集客に成功したのです。(その他、マッチョの権化のようなカート・ラッセル扮する軍人さんもナイーブな面を執拗に強調することで男臭さを消すことに成功しておりました)


というわけで、エメリッヒ監督がなぜ、息長く超大作を何本も撮ることができたのか?という疑問について、誰も考察する人がいないんですが、まず一番に挙げられる理由がこの「女性客の呼び込み術」なんですわ。





で、この監督がこの記事のタイトルのようにこの人のどこが「変態」なのか?というのは次回に書きます・・・・