邪教を広めよう

レオン 完全版 アドバンスト・コレクターズ・エディション [DVD]

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え〜、90年代に一世を風靡して、リュック・ベッソンの名を世間に知らしめた作品なんですが、女性を中心に圧倒的な支持を受けたいたって健全な作品と思われがちなこの映画ですが・・・

ド級変態映画だったんです。

だってアレですよ。男ヤモメの中年の殺し屋レオンが小学校高学年くらいの女の子に射撃を伝授するわけですよ。そして、少女マチルダはレオンのレクチャーにしたがってライフルから弾を発射させるわけなんです。これは要するに「少女にヌかせる」というセックスの暗喩があるわけなんですわ。しかもそれがもうちょっとマシな手段だったらいいんですけど、無類のガンマニアのリュック・ベッソンだからどうしても銃器を登場させずにはいられなかった。中年と少女の純愛をスタイリッシュに描くだけならこんな無茶なシーンを入れる必要はない。銃を愛するベッソンならではの変態嗜好ということです。

で、前回に続いてローランド・エメリッヒ監督なんすけど、今度は「ゴジラ」について書きます。

GODZILLA [DVD]

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この映画に出てくるゴジラなんすけど、日本の東宝が作ったゴジラとは別物なんすよ。どこがどう違うかというとですね、日本の奴が大自然の脅威が具現化したものという位置づけがされてて、どことなく「男の子の強いものへの憧れ」の対象になりうるような代物として描かれてたんですね。
実際に男の子がゴジラの力を手に入れたとするならば、憧れのあの子もこの子もゲットできて、やたらと女子を仕切って男子に対抗心を持ってるむかつく学級委員長の子なんぞは一踏みでペシャンコにできてしまうわけです。学級委員長的な女の子としてはたまらんですな。

そういう「男子の力に対する憧れの象徴」であるゴジラを女子、特に前述の学級委員長的な子なんぞは毛虫のように忌み嫌います。まぁ、気持ちはわからんではないですけど。


さて、前回お話したとおりエメリッヒ監督は女性の集客に力を注いで頭角を表した人でありまして、東宝ゴジラをリメイクするにあたってこの現象をどうにか解決しなければならなかったんですよ。

そこでこの監督が考え出した秘策というのがですね

フェミニズムを全面に押し出すことだったんですね。

で、僕自身フェミニズムというものに対してまったくの無知でして、あまり偉そうに書くのも気が引けるんですが、映画「時計仕掛けのオレンジ」で、でっかい男性器の彫刻を飾ってるフェミニストなおばさんが登場しますよね?あと、僕の住んでるところではお目にかかったことないんですが、銭湯でのぞき防止のお守りとして天井に巨大な天狗のお面(もちろん鼻は超ご立派)が飾られてたりとか、とどめはこちらなんですが

http://www.kt.rim.or.jp/~sokohaka/chin-man/kanamara_m.htm

要は、世の男どもがどうあがいてもかなわないくらいご立派な「逸物」というのは男性をやっつけて女性を守るフェミニズムのシンボルになることがあるみたいです。確かに女性側から巨大な男根を振りかざされるとセクハラ起こす気は失せますよね。こういうのを「性神信仰」というんだそうですが。(本当の性神信仰は主に子宝を祈るのが役目です)

果たして、このエメリッヒ版の「ゴジラ」とはこの性神信仰の神を具現化したものだったんです。
(「SIZE DOES MATTER!(サイズがものをいう!)」のキャッチコピーは明らかに男性器を連想させるものだった)

そう、なめらかでつるつるしたイルカさん(女の子は大好きですな)みたいな肌の質感といいスレンダーで締まった筋肉ながら男くささを感じさせないゴジラの造型は「女性を世の男から守る ”男を越えた男”」であり、女性の観念の中にのみ存在する「男」のそれだったんですな。


そして、このゴジラ、NYにやってきたかと思いきや、平日の昼間っから酒呑んで釣りしてる日本にもよく突堤に転がってる「鬼殺し親父」みたいのを襲ってみたり、詳しく書くとアレなんで省略するけど女性の進出を頑なに拒む男の聖域ともいうべき職場である、「魚市場」を襲撃してみたり、これはまさに「学級委員長な女の子」が怪獣さんの能力を持ったときのような行動といっていいでしょう。

あげくの果てにこのゴジラ一匹で卵をたくさん生んで繁殖を試みてみたり(つまり男不要というわけだ)どこまでも学級委員長的な男嫌い少女目線で暴走を繰り広げたり、マッチョイズムの権化ともいえるアメリカ軍との宿命的な対決を繰り広げたりと、実は巨大モンスター大暴れの具体的な戦いの裏にイデオロギー同士の戦いがあったりするんですよ。



ただ、いくらフェミニズムだからといって男嫌いとは区別すべきイデオロギーだし、仮に超男嫌いのフェミニスト(一部の人がフェミナチとよんでるやつだ)だからといって巨大な男根崇めてるわけではないわけで、女性を呼び込むダシとしての配慮としてはいくらなんでも荒唐無稽すぎるんですな。
なにしろ、この映画の直前ってのが東宝がいくらゴジラ映画作っても女性客が入らないから興行が伸び悩んでて頭抱えてた状態であり、ゴジラ自体がそれゆえ呪われた非モテのシンボルみたいに言われ出してた時期だったのでエメリッヒ監督も相当頭を悩ましたには違いないんですが、出来上がったものがあまりにあまりなもんで「ど変態」認定されてもしょうがないわけなんですな。



さて、この大珍作が公開されて早10年が経ったわけですが、近年の小中学生女子のオタク化というかサブカル化は凄まじく、ファミレスとかで隣の客とかの会話聞いてたらマニアック過ぎて度肝抜かれることがあったりするんですが、ひょっとしたらこの傾向にこのエメリッヒ版ゴジラが影響を与えたんではないか?と思わずにはいられない今日この頃です。



邪神の降臨される日は近いな・・・・