はぐれボンド共感派

観てきましたです。顔面のクラウス・キンスキー化が止まらないダニエル・クレイグさん扮するボンドさんの最新作。

いやぁ〜、正直申し上げましょう。個人的にですが


007シリーズの最高傑作です!

というかね、これは007シリーズの中でもかなりの異色作ですよ。まずは宣伝用のポスター。ここからして違うんです。

砂漠の中を渋い顔をして歩くボンドとボンドガールの二人、これは実は「過ぎ去ったはずの辛い過去に追われるかのように前に進むの図」でして、荒涼とした砂漠は二人が辿ってきた人生でありその殺伐とした風景は彼らの苦悩する心中を表してるんですね。

ちょっと前に当ブログでですね、「もしもヴィ厶・ヴェンダース監督が007を撮ったら」みたいな企画を考えていたんですが(「M」が笠智衆になっちゃうというオチだったですが)この映画はまさにそれ!!

だって、荒涼とした風景の中ひたすら歩く人物を前から撮るってのはヴェンダース監督の得意技だもん!!


ひたすら過去の過ちに苦悩するボンドという今までとまったく違う装いで幕を開ける本作ですが激しいアクションと目まぐるしく世界中を駆けめぐる展開というお馴染みの007の様式美から 「段々と」 現実の脅威である悪役は(もちろん悪いのは悪いんですが)ボンドが対峙しうる敵ではなくなりボンドの内面的な葛藤と苦悩がメインに、アクションとお色気満載の娯楽大作から男の哀愁漂うロードムーヴィ−へと変化していくんですね。

んで、その切り替えの重要な部分としてボンドとボンドガールが二人で砂漠を歩く宣伝ポスターのシーンが延々と続くんです。(それと同時に水が枯渇して住み慣れた村を出ていかなければならなくなった貧しい南米の農民の姿が映し出される。これはボンドたちの内面的な苦しみと現実の貧しき人々の苦しみがリンクしたことを表し、後の現実の悪との戦いのモチベーションとなる)こっからお馴染みの綺麗な風景に字幕スーパーで地名が表示されるお馴染みの「ボンドの移動シーン」がなくなります。

そしてここが一番すごいところでしょう。「ボンドガールとの別れ」が描かれているんですよ!おそらくシリーズ初(「女王陛下の007」除く)じゃないですか?傷ついた心を内に秘めているが故にお互いそれに共鳴し求めあった二人ではあるけれどもそれ故に一緒にはいられなくなった。この別れのシーン見た時にはもう頭のなかにはストーンズバージョンの「虚しき恋」が流れてきましたよ。
(その時乗ってる車がこれまた見事に「パリ・テキサス」を彷彿とさせるフォードのトラック) 

いやぁ、昨年はランボーが最後に「僕もかえ〜ろお家へ帰ろ♪」と実家に帰っていくシーンでジーンときてしまったんですがまさか今年になって007観て泣かされるとは思わなかったですね。

007って子供の頃は「イケてる大人」という位置づけで客観的に見れるんですがいざ大人になるとこれが「どうでもいい他人事」に見えてきて子供の頃以上に距離ができちゃうんですね。自分のまわりにあんな人いないですから(笑

んで、まるっきり共感を得られなくなって忘れ去られた「子供の頃のトモダチ(つまり特殊な大人)」という位置づけの彼を(大人なら)誰しも持ちうるであろう「心の傷」や「過去への悔恨」という「大人なりの弱さ」を全面に打ち出すことで見事に「誰でも共感できる大人」へと見事に再生した衝撃の問題作。従来の007が好きな人にはちとツライかも知れないですが、僕のように最近とんと007に(精神的に)ご無沙汰だった人には是非みて欲しい映画です。