脱構造主義映画

どうも今年に入って007の新作観て思ったんですけどなんと表現して良いのかそれまでの映画の中の取り決めごとというか構造というのを否定する映画が流行ってるようでして・・・

昨年の「バットマンみたいなの」がそれなんですが、アレの場合はそこ(構造)から抜けきれない苦悩を描いてる感じで、007は完全にそれらを無視してて、新たな構造による再構成(ヒップホップ的といいましょうか)を試みた作品と言えるんではないかと。


んで、何を隠そうこれを最初に試みたのが日本の那須博之監督の「デビルマソ」なんではないかと思う次第です・・・・・

だって、あの映画って「人類を悪の手から守る正義のヒーロー・デビルマン」のはずが「本当に人類って守る価値あるの?」っていう疑問が出てきてとことんヒーロー路線から脱線していくわけですから。(原作とプロットは同じながらマンガでは微妙に感じ取れなかったニュアンスだね)

んで、この「構造からの脱却」のモチベーションは一体なんなのか?ということなんですが、これは要するに


(客に対して)あんたら一体何が楽しくてこの映画観てるの?


っていう問いかけなんではないかと。

構造という壁を取り払うことでより観客と作品が密になっていける、という根拠で観客に対して作品自体が問いかけてくる、そして見終わった後にお客さんが何らかの答えを出してくれたらいいなぁ。みたいな感覚があるんではないでしょうかね。



いずれにしてもこの「脱構造主義映画」の夜明けは映画業界に何をもたらすのか?みなさんもその目撃者になろうではありませんか!!
(でも、この手の映画って予告編見ても内容がわかりにくいから厄介だね)