ダーティーなアメ車

はい!アメ車が爆走するごきげんな映画「ダーティーメリー、クレイジーラリー」なんですね〜。

この映画はっきり言ってアメリカン・ニューシネマの中でも駄作な方でして、さほど後世には名を残してないんですが、その昔、ヤンキーの履いてるボンタン(改造学生パンツ)に「ダーティーマリー」という名のメーカーがあったことからもその筋では並々ならぬ影響力があったんですね〜。

さて、その「ダーティーマリー〜」ですが、ラストはこんな感じなのです。

よく見たら踏切がない、とかそういうツッコミはなしでお願いします(笑


このようにアメ車で自由への逃走を試みたロン毛の「あの時代の自由な若者」は「鉄道、列車」というアメリカを牛耳る大資本の権化たる鉄の塊にぶっつぶされてしまう、という流れになってるんですね。

これ「バニシング・ポイント」の方でもラストで無情に何事もなかったかのように走る貨物列車が効果的に使われております。
(画像がない!!)

結局アメリカという国の場合、列車というかトレインというのは「権力の象徴」でしかなくてソウル、ブルースなんかで歌われるトレインというのは要するに「駅前」とその周辺の文化を象徴するだけのものなんですね。


さて、ブッシュ政権以降「(ブッシュ支持の)アメリカ人ってほんと馬鹿」みたいなこと言って「アメ車はもうダメ、だってアメリカで一番売れてるのト○タじゃん」と言ってるやつらに最後にかましておくと。上記の理論でいくと「ト○タなんか乗るのはアホでマヌケなアメリカ人」ってことにならないか?

その理屈に気がついたのか?はたまた僕がこういうことを書いてるのが受けたのか?(それはない)僕のまわりでもにわかにアメ車党が増えつつあるんですよ。結局、TVの報道真に受けて「もうアメ車持ってても会社が潰れちゃ売れなくなっちゃう。その前に早く売らなきゃ」ってことで叩き売った馬鹿が仰山いるだけのことで程度がよくて格安の物件がたくさんあるってだけなんでしょうけど。それを買った人間も(それまで国産乗ってたのに)いるわけでやはり彼らの心の中には「あの時代の自由な若者」に対する畏敬の念とか憧れが少なからずあるんではないかと。かように思うわけです。


うむ、アメリカ合衆国という国が例え滅んでも多くの人の中に「アメリカ」は残り続けるんでしょうな。
(ただ、アメ車乗りって偏屈で神経質なヤツが多くて嫌なんですけど)


というわけで次は「アメリカ」を支えつづけた千両役者たちである「アウトロー」にスポットをあててみます。