自分隠し

え〜、何を書こうかというのを思い出すのに苦労しましたが、上の「気狂いピエロ」の最後にジャン=ポール・ベルモンドが顔をペンキで青く塗って青空の中で自分の存在を消そうとするんですね、色即是空

んで、話変わって00年代に日本では

この男窪塚洋介クン(以下;洋介)が頭角を表します。
この人の演技というのが「棒読み」多くって僕の回りでも何かとバカにされてたんですけど、要するに彼がやってるのは「公の中にあって他人に理解されるために”キャラ作り”してる人」を演じてるということで、「本当の気持ち」を抑えて「キャラ」を出してる(上の動画では台詞にあるように感情を抑えてる)状態を演技で表現するという2重の演技をしてるんですわ。小難しいことは嫌いそうなこの人のパーソナリティもあってか非常にわかりやすくそれを表現してて僕なんかは初めてこの人の演技見て「おっ、やるやんか」と思ったのを記憶してます。

んで、洋介くんがマンションから飛び降りてから数年後なんですが、「ダークナイト」に出てくるジョーカーは顔に白塗りの化粧した血も凍るようなサイコパスで・・・という設定になってて。それ見て僕が思い出したのは昔親父に無理やり美術館に連れてかれて見たピエロの絵を思い出すんですね。舞台裏で座り込んでるピエロの表情が笑ってるメイクの顔と疲れてる素顔とで違うのを上手に描き分けてるんです。多分、こういうことを今回のジョーカーは演技でやるに違いないと思ってたら一回もそんなシーンなかったですけどね(笑 とりあえず今回のジョーカーは洋介クンの演技と一緒でジョーカーというキャラが入ってる人、という設定。

んで、「ダークナイト」で時代性を描いていたとするならこういう部分かなぁ、と思ったもんですが、それだけで話は終わらずに「キャラ」があったら「プロット」も存在して、バットマンみたいにキャラ入ってしまった人はその「劇中劇」的なプロットを意識せざるを得ないという驚愕の事実が浮かび上がるんです・・・・

ということは「プロット」があって「現実」があるとするならば 現実は「プロット」の2次創作に過ぎない ということになってしまうわけで 同人誌乙 という荒唐無稽すぎる展開が頭をよぎります。

バットマンに関してですが、最近はポスターが数万円で取引されて大好評だとか、1冊数千円の原作本バカ売れだとか色々と言われてて要は「大人買いの象徴」みたいな印象しか僕にはしないのですが、(実際子供は全くはまってない)「こういうもんにいい年してのめり込むお前らの人生なんて同人誌みたいなもん」ってジョーカーに言われてしまってるような感のあるこの映画を大歓迎する大人たちって・・・。

まぁ、それはそれとしてバットマンって漫画が現在まで生き残れたのも相棒のロビンが「バットマンのお稚児さん」的存在でこの設定がゲイの人たちにバカ受けして影で好評を博していたのが背景にあるんですね。ある意味やおい同人誌の先駆けですね。

とは言うてもですね。何回も書きますがバットマンが活躍した時代からあまりに年月が経ちすぎまして彼らの原風景である「煉瓦作りの雑居ビルの間にできた路地裏」的風景というのが段々失われつつありますし、ジョーカーの人となりを理解できる人間もファンの間ですらほとんどいない。バットマンやジョーカーは少なくとも一時は存在する場所と存在理由を持った「実在する架空の人物」だったわけですが、「リアルでカッチョエエ バットマン」を求めた挙句に存在する場所は勝ち組ミドルの自室のポスターの中だけ、存在理由は「大人の購読に耐えられるリアリズム(でもジョーカーの回で述べたように何がリアルかを読む連中自身が理解していない)」というのはねぇ。

大人が漫画読むにもある程度の予備知識がいる同人誌以下の世界・・・、これが00年代の現実だったのか?



おまけ

すっかり書き忘れてしまいましたが、以前「ダークナイト」を「一部の隙もない大駄作」としたのは今回ノーラン監督が「きっちりかっちり」官僚主義的に演出してしまい芸術作品としての「アジ」が出なかったためです。
「何もかも完璧」を求めて役者の演技や演出としての「間」は存在しても映画全体から「間」というかグルーブ感みたいなものが全く出てこなかった。これは人間が作為的に消すことはできても作り出すことはできない部分ですね。「神の領域」と読んでますが。
「○○な」「XXのように〜」みたいに形容詞や副詞にこだわりすぎるとこういう失敗は必ず起きます、ハイ。



おまけのおまけ

ヒース・レジャー版のジョーカーについてアレコレとお芸術論的な考察をなさる哀れな御仁がネット上でも目立つのでこやつめの正体を晒しておきましょう。

正体は 借金取り です。

現実世界で(まっとうな)苦労して世の中の裏側をしっかり見た人間にはね、彼の正体なんかすぐにわかるのよ。まぁ、そんな人間は「ダークナイト」なんて見ないけど。
そんなわけでジョーカーがカード持ってたり(カード破産を象徴してる)、パーティー会場、警察署、病院を襲撃したり(いずれも人が集まる、債務者を見つけやすい場所)「お前がおるからワシが出てきたんや」と自己責任論をぶつけて開き直ったり、手下(何故かいつも日雇い)の体の中に爆弾を埋め込んだり(返済能力の無い奴の腎臓を2個とも取り去って売り飛ばすひどい奴もいます、腎臓切り取られた人を実際に見た人間ならすぐに連想できる)極悪の方向性がニコルソンに習ってルンペン・プロレタリアート的なんよね。

そんで大富豪で借金苦知らずのバットマンことブルース・ウェインには何故やつが存在し、何故やつが人々を苦しめるかわからない、というわけです。
そして、「ダークナイト」信者を「勝ち組ミドル」に限定したのもこの理由だす。マンガにリアリティを求める前に自分の認識してる現実というのをもう一度見直した方がいいよ。