Xファイルの終わり、90年代の終わり
そう、「Xファイル」なのだ。
どうも「フォース・カインド」とか「パラノーマル・アクティビティ」とかのモキュメンタリーってのを立て続けに観たせいで思い出してしまった。特に「フォース〜」の方ではこの「Xファイル」、さらに並行してやってた同じスタッフの「ミレニアム」がごっちゃになったような(そして核心をついている)テーマに迫ってるんよね。
さて、「Xファイル」が隆盛を極めた90年代を語る上での最重要キーワードは「リアル」である。
華やかさと派手さが際立った80年代の反動からか90年代は「リアリズムの追求」の名の下に「虚構の中の快楽よりもリアルな苦痛」を受け止めることが人生の至上の価値と言われるようになった気がする。「リアルに生きてリアルに死ね」なんて言葉を活字で目にするようになったのだから世の中変われば変わるものだと思いましたよ。
そんな時代に放映された「Xファイル」はモルダーとスカリーという2人の捜査官が目を疑うような超常現象の中から真実を見つけ出そうとするお話で、当時のリアリズム追求指向に合致していたのでバカ受けしてしまいました。まぁ、リアリズムと真実ってのは違う概念だと思うんですがこの際気にしない(笑 僕もずいぶんハマったものでほぼ全て観てますねぇ。
しかし、そのリアリズム追求指向も「そもそも世界にリアルを求めるお前は一体何やねん?」というアイデンティティのお話になってきてこれが薄れてきてしまい、911以降それはうやむやになった気がします。これはまた別のお話なので他の機会に書きますね。
そして、00年代後半ブッシュ政権も余命あとわずかになった時「Xファイル」が劇場版として復活。
TVシリーズ終了から6年。ファン待望の新作はどんだけスケールがでかいんだ?と思って観たらあなた。話はめっちゃスケールダウン。小児性愛癖を抑えきれずに度重なる児童暴行事件を起こして矯正施設に自ら入ってそこで資格とって神父になったみすぼらしい男の霊感サイコメトリーを頼りに行方不明の婦人捜査官を探すストーリーなんですが、このいい感じにくたびれた神父と真実を求め暗闇を何年もさまよい、そこで人生の希望を失ってこれまたいい感じにくたびれたモルダーとスカリーが出会い、「”人生”の真実とは何か?」を見つけ出そうとするお話になってるんすわ。(要はシリアスでくさいメロドラマ)
なんじゃ、こりゃ?
そういえば副題が「I WANT TO BELIEVE」になってるし、Xファイルにしては変だなぁ、と思ってたんですが最後の最後まで観てこの映画の主旨がわかったような気がする。
これは「リアル」をひたすらに求めた90年代へのレクイエムであり、Xファイルと同じ時代を生きた人たちへの応援メッセージなのでしょう。
人が真実を求めるのは「(そこに自分が求めるものがあると)信じたい」から、だから辛くても「あきらめるな」。これが「Xファイル」からの90年代という時代に対するおよそ10年越しの解答なんではないか?と思いましたね。
この映画、エンドロールで、どうやら暗闇から抜け出して光の世界にたどり着いたらしいモルダーとスカリーがカメラに向かって手を振ってるシーンがあるんですけどね、これは本当に目頭が熱くなった。Xファイルを観続けてXファイルと同じ時代を生きた人間にだけに許された至福ですわ。
かくして90年代のリアル追求ムーブメントは終わった。今度は97年香港返還以来続いてる「自我喪失ムーブメント」の終焉だな。なんてことを考えながら夜が更けていく2010年の冬でした・・・・。