安土桃山時代シューリョー

3月に入ったら「パブリック・エネミーズ」についてアレコレ書こうと思ったけれどちょっとやめて70年代について書いてみようと思う。

70年代といいますとアメリカでは未だ長髪でズボンの裾は伸びててヒッピーみたいな人たちもいっぱいいたんですが、日本ではどういうわけかリーゼントが再び流行り出してズボンの裾は絞りだしてもうどんくさいやら悲しいやらって感じだったんですわ。んで、僕が70年代に下した正しい評価を申します。


あれは安土桃山時代だったんですわ。


だってほら菅原文太の「トラック野郎シリーズ」に出てくるデコトラなんて完璧に安土桃山の「傾奇文化」ですよ。長い戦国時代が終わって豊臣秀吉が天下を獲って一時の平安に民衆が酔いしれてた時代ね。

ほいでリーゼント、あれね、歌舞伎に出てくる石川五右衛門の五右衛門ガツラにそっくりでしょ?50代の連中はジェームス・ディーンに憧れたとか言ってるけど本当はあれ五右衛門なんですわ。五右衛門って豊臣秀吉暗殺しようとした男ですから安土桃山の人ですよ。

70年代の前の60年代ってのが日本は「昭和元禄」って言われるくらいのんびりして平和な気風の時代で緊張感なかったもんだから70年安保なんかシケシケで終わっちゃったんですね。んで、時代は元禄から安土桃山に逆行(笑


もうね、最近の旧車會とか本当にうんざりなんすよ。当時の連中が何がしたかったのか考察しないで様式美ばっか追っかけてるでしょ?
違うんよ、70年代は安土桃山時代なわけやから人々は平和な時代を歓迎しつつももはや出世の望みも消えて天下統一の恩恵の管理社会に生きるのみの人生にウンザリしてたんですよ。そんな中五右衛門みたいな悪党だけど面白いことやる人間に憧れたんやね。

しかしです。権力に逆らってた傾奇ものたちを演じて人気を博した歌舞伎もある程度人気が出てくるとお上が放っておかない。人気者の歌舞伎役者たちに一定の権力を与える代わりに彼らを飼いならし出すんですわ。つまりお上に逆らう本来のアティテュードを失ってしまうんです。

そんなことがあってから数百年。今や日本の伝統芸能に成り下がった歌舞伎。そして歌舞伎化した暴走族の旧車會。そんな中キリヤの旦那が作った「GOEMONN」ってのが様式美を完全に無視してあるもんだから個人的にかなり楽しめた。終いに歌舞伎のキャラクターが権力者に物申すって本来の傾奇のスピリットも取り戻すというアイデアもたまらなかった。

個人的に「五右衛門=傾奇の権化=リーゼント」っていう様式美を真っ向から否定してくれたのがうれしい。
キリヤ映画は正直好みも分かれるし、映画界における確固たる地位というのは未だに占めるにいたってないんだけれど70年代から連綿と続く日本人の鬱屈した感情に対して引導を渡してくれたと思う。安土桃山時代がやっと終わったのだ。万々歳だ。少なくとも僕はそう信じたい。そしてコンビニにこれ見よがしに置いてある昔懐かしいナポリタンが一刻も早く無くなってカルボナーラとか置いてくれるとウレシイ。最後に言っておく。


リーゼントに反抗のアティテュードは宿りません。