誤訳です


いかがだったでしょうか?みなさん。(←「火曜洋画劇場」の山城新伍風)

というわけで異様に長くなって大変だった「勝田ズ・ウェイ」がやっと終わりました。
本当は全5話くらいで終わらす予定だったんですがね。そしてもっとあれやこれといろんなエピソードがあって。


それが絶対に不可能であることがわかったのは3話くらい書いた時でしたね。


う〜ん、思考のアウトプットができかねるようになってきて困ってたんですがそれ以前にもっと考えることがあったようですわ。
そんなこんなで勝田くんが彼女のエヴィンちゃんを殺害するとこまで書いたら今度はどんな話にするか忘れてしまって無理やり関係ないキャラを持ってきて強制終了させることとなってしまいました。

さて、作品解説を一応しておくと「勝田ズ・ウェイ」は「Cutter's way」というアメリカ映画にインスパイアされたお話で脳内フィルム・ノワールと称して小説とは違う趣向で「小説では決してやってはいけない手法」を多用して書き上げたものです。オリジナルの映画は「Cutter and Bone」という小説が原作でニュートン・ソーンバーグという作家さんが書いております。この作家さん人気の割には出版社の都合か何かでなかなかアメリカ以外では本が出回ってなかったようですが映画が凄く有名(何故か日本では無名)なんで英語圏ではみんな知ってる作家さんだそうです。

私がこのお話を書いたきっかけは「下層に落ちるような奴等は切り捨ててしまえ」という言説がネット上でだんだん広がってる日本の現状を鑑みてこれを批判する目的で書きました。書き始めた当時はマジで怒ってました。でも2話目くらいで怒りを忘れてそれ以降はやっつけ仕事みたいにして書いてたんですけどね(笑 登場人物の設定はこんな感じ

勝田くん じれったいだけの男

ヴィンちゃん イライラする女

興戸社長 父性が強すぎる男

興戸社長の息子・公一 真面目さ・誠実さで周囲を困らせる男

美馬さん イライラする女2

黒田の兄やん 絶対的正義と真実の人


ヴィンちゃんクルド人という設定ですが一応実際にクルド人の難民の方多く住んでらっしゃいますがそれらとは何ら関係ないという設定になってまして、もっと具体的に「ベトナム人」とか「フィリピン人」とかにすると問題が出てくるからしませんでした。在日朝鮮人というのも、もう既に何十年も日本に住んでらっしゃるわけでこの場合には不適格だったんですね。つい最近日本にやってきて差別されている存在ということで実際には存在しないクルド人コミュニティを作ってそこに住まわしました。「エヴィン」という名前ですがクルド語(インド・ゲルマン語族だから英語に似てる)で「愛」という意味で女性に多い名前だそうです。私は梶原一騎の「愛と誠」にちなんで(笑 この名前にしました。

勝田くんの名前はオリジナルの主人公の一人・アレックス・カッターから。彼の造型は最初そこら辺にいてそうなお兄ちゃんというだけだったんですがそれでは悪女に誘惑される展開についていけんということで3つの「男の武器」を途中から授けるという荒技を行いました。なお、男の武器の内「アゴから首筋にかけてのラインがキレイ」と「仕草がセクスィー」は私と違って女の子にモテる私の従弟くんの特徴でございます。「ここだけは私ではどうやっても勝てん」というところがこの2つだったんですね。そして最後の「キレイな手」は英語の「ハンサム(handsome)」が本当は手がキレイな男という意味であるというのからインスパイアされてまして、このお話の原型ではこれが主人公のものすごい重要な特徴だったんです。「ちゃんとお手々キレイキレイして貴婦人の前に出る礼節をわきまえた騎士」が語源だったと思いますし、日本でも神道では神様の前に立つ時はまず手を洗いますね?お手々キレイキレイするのは日本であってもアングロサクソン国家であっても「礼」の基本中の基本なんです。対する悪役の公一は腕時計が無茶苦茶汚いことからもおわかりのように手が汚いんですよ。そのくせ礼節を人に説くんですね。これは「礼」重んじろ、と言う人たちに対する皮肉なんです。

興戸社長はオリジナルのJJコードなる悪役の名前から。それとその息子・公一ほかリンチ殺人メンバーについては昨今の「教育、教育」言ってる政治家さんたちへの当てつけです。これわかりやすいですね。そしてその背景にある「父性」を最大限に尊重する姿勢を皮肉ったのが興戸社長というキャラです。「父性・道徳・礼節」それらは私が最も嫌いなものですね。そして日本人の本来あるべき姿にはこれっぽっちも必要ないと思っている代物であります。

黒田の兄やんはそれらのものと対峙する「絶対的正義と真実の人」ということで「社会正義やコモンセンスとこれっぽっちもつながりのない独自の価値観で生きるアウトロー」として作りました。そして彼こそが「真の日本人の代表」ということで興戸社長やらの詭弁を否定する存在なんです。
ただ、美馬さんが活躍する関係で影が薄くなってしまったのは残念です。

あと、勝田くんが乗ってたハーレー・ダヴィッドソンなんですが、あれは私が永遠の忠誠を誓った「アメリカの飼いならされない自由な魂」のシンボルでして、自由意志を持ってて勝田くんの心が曇ってるとエンジンが止まり、最後に死を覚悟して心が晴れるとエンジンが快調になるという設定でした。そして76年製なのは「Cutter and Bone」が出版された年だからです。「子供の成長に必要なのは教育じゃない。自由な魂(つまりアメリカ)だ」ということでこれもこのお話のテーマだったんで。

最後に美馬さんなんですが、これは設定自体はおもしろいんですがそれを表現する技量が小説家でもない私には持ち合わせてないんでわけわからん存在になってますが、あれは 小説家の高村薫さんと「バットマン・リターンズ」に出てきたキャットウーマンをくっつけたキャラです。 ちょうどあの映画と高村はんが直木賞とったのと時期が重なる上にどちらも社長秘書やってて猫飼ってるんですね。キャット・ウーマンそのものですわ。そんなキャラも登場する小説書いてるし(笑「何故ワーナーブラザースは高村はんにキャット・ウーマンの脚本を依頼しないのか?」と私は不思議でなりません。なので美馬さんの心理描写は高村はんの文章を真似て書きました。こんなこと書くと怒られるかな。


あと、お話に登場するアイテム ディッキーズとかカーハートとかヴァンズのスリッポンとかですが、「金の無い人たちはアメリカン・ブランド」を好むという日本の紛れもない事実を象徴してます。中華屋の若い中国人夫婦の結婚指輪がティファニーのそれほど高価でないシルバーのリングだった、というのは実話です。個人的に気に入ってるのが「親父の形見のブルックス・ブラザース(の靴)」というところですね。それほど豊かでない人たちがディッキーズのツナギを着て自動車整備したり、ブルックス・ブラザースやフローシャイムの靴底を擦り減らして営業まわりしたりカーハート着て現場作業したりして汗水たらして働いて、というのが少なくとも私のまわりではよくある日本の風景なんですね。それが本やで雑誌読んだら掲載されてるのは「ジョン・ロブだオールデンだクロケット&ジョーンズだといった英国製の高級靴だったりして「こんな靴履いてる奴なんか朝のJR駅周辺でしか見ないよ!っていうか吊るしの靴なんかに10万払うんなら30万払ってオーダーメイドするよ!代理店ぼったくり杉」と思うわけなんですね。こういうのを好む連中がふてくされたような顔つきで全身アメリカン・ブランドの私をにらみつけながら大阪市内の商社に出勤してるというのがこのお話の原風景です。

昨今のアメリカ批判というのがかつてのネットウヨクの中国や韓国・北朝鮮批判にとって変わってて「一体何事か?」と思ったんですが何のことはない、アメリカン・ブランドを身につけて働く下流の人たちを蔑む理由を探してるだけなんです。「こいつらだからダメなんだ」というね。自分たちが今まで守られてきた「中流意識」とか「安全神話」みたいなのが崩れてきてしまって下流と見下してきた連中と自分が同化してしまうのが怖いというね。そして、(元)中流の人たちももっとステータスの高い、少なくとも身につけるものくらいは頭からつま先まで全てオーダーメイドでキメられるような人たちから見たらアメリカン・ブランド着込んでる下流(何回もすいません)の人たちと目くそ鼻くそというのも事実なんで「違うんだ〜」と思ってユニオンジャックがデザインされたようなもん身につけたりしてるわけなんですよ。これがかつては「ネットウヨク」論説、最近では「下流叩き」論説に煽られる人間たちの生活の原風景なんですね。これをとことん批判したかった。


最後に勝田くん、興戸社長両方のモデルでありますジョン・ハードさんについて語ります。この人シェイクスピアの「オセロー」の役で名を上げて「カッターズ・ウェイ」のアレックス・カッター役に大抜擢されて映画界に進出した人なんですが、演技力は本物なのにとにかく冷や飯食われてる感が強い。きっと本場英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーにいるどの役者よりもはるかにうまいアメリカ人のシェイクスピア役者という彼の存在を世間は許さなかった、というのが本当のところだと思います。このお話は基本「ジョン・ハード祭り」ですので勝田くん(オセロー、アレックス・カッター)公一(デヴィッド・スティーブンソン)興戸社長(後期の諸作品の腹黒親父役)等は全てジョン・ハードさんからインスパイアされております。この機会に日本での彼の知名度が上がれば、と思ってる次第ですのでどうぞよろしくお願いします。


おっと、書き忘れた「勝田ズ・ウェイ」を「勝田くんの道」という風に本編では表してますが本当は「勝田くんのやり方」という風にした方が正しいです。また最後の興戸社長の聞く幻聴「やつだった、やつだった、お前だった」はオリジナルの「カッターズ・ウェイ」のラストの台詞「it was him,it was him,it was you」から取ってます。 「犯人はやつだった、正しかったのはお前だった」という意味ですね。そして「私だったら何なんだ?だったら私は何なんだ?」というのは「what if it were?」「だったら何だ?」から取ってます。オリジナルはいろんな意味に取れるように言葉を短く省略してますが私が考えた台詞のような意味にはならないのでご注意ください。そして幻聴のアイデアは突然書いてる内に浮かんできたもので本当に無意識に近い状態で思いつきました。そして同様の理由から興戸社長の正体についても私自身はっきりわかりません。あのお話をお読みになった皆様がご自分の人生の中で彼の正体を見つけてくださればいいかと思っております。私自身は未来について熱く語っていた興戸社長が全ての人間の未来にあるもの「死」そのものになっていた、ということだと思っております。